どこかで写真が撮られた/わたしは写真を見た(2019年4月・5月)

ときどき「この写真には光を感じる」と思うことがあります。写真になにかが写っているということはそこに光があって当然なのですが、それでもそういう言葉で思うときがあります。蔵真墨さんの写真展「パンモゴッソヨ? Summertime in Busan」(2019年4月@ふげん社)がそうでした。韓国・釜山の町を撮ったモノクロ写真のシリーズです。

蔵さんが撮っているのは下町のような雰囲気の日常的な光景です。外で車座になって遊びに興じる女性たちの姿や、くだものをたくさん積んだ小型トラックの写真など、土地と人が親密な関係を結んでいる様子が写真に収められています。

カラカラに乾いた唐辛子が日光に当たっている写真やイカの干物の写真があるのですが、この乾きは損失ではなくて恵みだと思います。人は太陽から光を受け取って生きていて、太陽があって今の世界が成り立っています。

蔵さんの写真はなにげない風景を撮影したものであると同時に、世界が成立する基礎的な条件を捉えたものでもありました。

 

一方、太陽が沈んだあとの夜の光を扱った写真展が同時期に開催されていました。石田省三郎さんの写真展「Crossing Ray」(2019年4月@IG Photo Gallery)は、夜の都心の交差点の写真を幾層にも重ねて合成したシリーズです。

大きなビルや営業中のデパートといったきらびやかな建物を被写体にしているのですが、画像処理ソフトで「比較暗合成」したため暗くて黒い写真になっています。発電→撮影→合成処理→プリント→展示室の照明の反射という何重ものプロセスを経て観客に届く光は、ひそやかできれいです。

本来向かい合うはずのない人が向かい合ったり、重なるはずのない建物が重なったりする、技術が可能にした夢の写真でもあります。

交差点を撮影地に選び、その写真を重ね合わせた石田さんには、交錯するということになんらかの願いがあったのではないかと思います。それは連帯の夢でしょうか。作品の前に立って合成の跡をたどりながらそんなことを考えていました。

 

IG Photo Galleryでは他にも実験的な作品を見ました。井上雄輔さんの写真展「NO PARKING」(2019年5〜6月@IG Photo Gallery)です。駐車禁止標識のある風景を撮ったシリーズですが、まず見せ方が特徴的です。展示室の壁に9枚のモニターを掛け、一斉に別々のスライドショーを流しています。スライドが切り替わる間隔はモニターごとにバラバラですが平均してとても短く、1枚ずつゆっくり見ることができないように設定されています。

撮り方も特徴的です。全ての写真・映像が同じルールで撮影されています。標識が必ず画面中央からやや右寄りの位置に配されていてサイズも同じです。そのため、画面が切り替わると標識の図像は動かず、まるで背景だけ差し替えられたかのように見えます。

撮影地は駐車禁止のエリアに限られています(ごく一部、駐停車禁止もあったように思います)。様々な場所で撮影されているのですが、おおよそ車や歩行者の交通量が多く、道幅は広くない場所のようです。画面左側を歩道や建物が占めることになるので、結果的に遠くを見渡せないような、すこし狭い感じのする写真が多くなっているように思います。

標識には意味があります。ところが、井上さんはあえて誤読して、風景を抽出する新しい方法の条件にしています。また、写真は被写体を何度も/ゆっくり見られるようにする技術です。ところが、井上さんはあえて反復や凝視の可能性を小さくしてしまいます。2つの独自な方法が組み合わさったことで「世界には風景が怒涛のように存在している」という認識の仕方を提示するところに到達したのではないかと思いました。

 

最後に、加藤智津子さんの写真展「サハラの家:Maisons du Sahara」(2019年5月@銀座ニコンサロン)についてです。サハラ砂漠に点在する「蔵」の数々を撮ったカラー写真のシリーズで、タイポロジー的な発想で制作されています。

写真1枚につき、原則1個の建物が中央で大写しにされています。地面は砂漠の土で、空は広く、人の姿は見えません。展示室の順路に従って見ていくと、最初の何枚かの建物は三角屋根だったりして、タイトル通り「家」に見えます。

ところが、順路を進むと、公衆電話くらいのサイズのものや竪穴式住居のような簡素なつくりのものがあることに気づきます。素材も石だったり、金属板を組み合わせたものだったりと多様です。住居ではなく、砂漠で生活をする人たちが各地を行き来するための拠点として建てている「蔵」のようです(そして、普段住んでいる移動可能なテントよりも蔵のほうが動かない「家」であるのでそう呼んでいる、と理解しました)。

寄る辺のない砂漠に「蔵」を建てることは、0を1にするようなことではないかと思います。写真1枚1枚に正対しながら、写ってはいない「蔵」の持ち主や人々のネットワークを思いました。加藤さんは「蔵」のみを抽出することで、サハラに現存する生活のシステムを切り取られたのです。